【グロいのナシ!】アウシュヴィッツに行ってきたはなし

ポーランドにアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館はあります。

あのナチス・ドイツ軍が建造した負の遺産で約150万人もの人たちを虐殺した施設です。現在は世界遺産にも登録されています。

僕は小学生のころアンネの日記を題材に読書感想文を書いたことがきっかけで、興味を持っていました。そして実際に行ってみると、当時のままのものが展示されていたり、まさにここで・・・という現場を見てきました。考えさせられることばかりでした。

ただ人によっってはやっぱ怖え!現地行くなんてとんでもねぇぇぇ!という方もいると思います。

そういった方たちの為にも過激な写真は無しで!僕が見てきたもの、感じたものをお伝えしたい思います!

 

1.アウシュヴィッツの施設

クラクフという町からほぼ始発で出発し、到着したのが7:30頃。この門を見たときは来たな~という感じがしました。

「ARBEIT MACHT FREI」 働けば自由になれるという意味で、訪れた人たちを安心させようという意図があったらしいです。

ARBEITのBが逆さまになっているのは、この門を建てた被収容者たちが反意を込めたものというのは有名な話。

くぐった瞬間、意識的なものかもしれませんが、なんか空気が重たく感じました。

なんともいえないドキドキ感。。。

こちらはアウシュヴィッツに連れてこられた方たちの場所。

これほど多くの都市から連れてこられていたという事を考えると、当時のドイツ軍がどれだけ幅を利かせていたかわかりますね。

 

山積みのカバン。

後で自分の物がわかるように名前書け~て言われたそうで、みんなちゃんと書かれています。返す気ないくせに。

なんか要所でこうゆう見せかけの安心感を与えてくるのがやらしいなと思う。

さっきのARBEIT MACHT FREIもそうだし、ガス室には当時、シャワーヘッドのダミーがつけてあったそうです。

シャワーするから服脱いでね~みたいな。やばいやん。

 

こういった眼鏡とか義足とか食器類などは取り上げられたそうです。

そこはやっぱり戦時中なんで、使えるものは確保しておきたいという考えはあったかもしれません。

義足とられた人は歩けなくなるやん!どないすんのよ?ってかんじですが、身体に障害を持った方や労働力としてみなされない人たちは即刻ガス室送りにされたそうです。

 

使用済みのチクロンBという毒ガス缶。これをガス室の煙突みたいなところから投げ入れるという算段です。

ドイツ軍は人を大量に殺す為に効率の良い方法と、執行するドイツ兵の精神的な軽減を考えてこの方法をとったらしい。何に配慮してんねん。

チクロンBの概要は

第二次世界大戦中にナチス・ドイツによるホロコーストで、強制収容所のガス室で毒ガスとして用いられたと言われている。

「32分で800名の処刑が可能であった」

出典:Wikipedia

僕はこれが一番ショックだったかな・・・。

毒ガスが蔓延した中で30分も苦しまなければならない。勝手な想像だけど、毒ガスが蔓延したらあっという間に死ぬもんだとおもっていた。

想像もできないというかしたくない。アウシュヴィッツの中にガス室が復元されたものがあり、というのも、戦争末期にヒトラーが敗戦を予期し、証拠隠滅の為にガス室を破壊したとされている。

その復元されたガス室の一部の壁(一部当時のものをそのまま使って復元している)に人が引っ掻いたような跡があった。たまたまガス室の中で居合わせたガイドの方が説明してくれていたので見つける事ができた。

いやこうゆう事やけど、でも目の当たりにすると、、アカン。一緒に居合わせたマダムがそれを見てちょっと泣いていた。

 

一日のごはん。腐ってるものも平気で出てくる。

過酷な労働のあとでこの量かよ。

 

通称「死の壁」

近くで見ると弾痕もはっきりと残っているらしいのですが僕はなんだかあまり近づけなかった。

銃殺や絞首刑をわざわざする理由は、反逆者として扱われた人たちや脱走をしようとした人等を見せしめとして殺害する方法だったらしい。

空気が重たかった。

 

2.ビルケナウの施設

こちらは第二施設という位置づけですが、アウシュヴィッツよりも全然広くて、東京ドーム約37個分もあるそうです。MAXで10万人以上の人が収容されていたらしいです。

でも来たからには全部見たいじゃないですか??結局ビルケナウだけで5~6時間は歩いていたと思います。まぁまぁヘトヘト。

ちなみにアウシュヴィッツから無料のシャトルバスが出ていて約10分ほどで到着します。

 

各都市から人が乗せられてきた貨物車。ぎゅうぎゅう詰めで乗ってきてここで整列させられ、軍医によって選別されます。選別とは労働力として使えるか否か。

労働力とみなされる人は全体の約25%ほどで、それ以外は即ガス室だったそうです。

選別の基準は軍医のぱっと見です。もう一度いいます、ぱっと見でです。

アカーン!

 

ビルケナウには人が寝泊まりするバラックがいっぱいありました。寝るところと言っても横になるだけの場所しゃね?って感じです。冬は-20℃にもなるそうで身を寄せ合って寒さをしのいでいたそうです。いや、しのげねぇ。。

ここは主に小さい子供たちとその親が寝泊まりしていた所で、お絵かきのあと等が残っていました。こんな場所でもお母さんといっしょに過ごせていた時間はきっと貴重だったのではないでしょうか。。

 

爆破されたガス室・焼却炉。

ヒトラー的にこうしとけばバレへん!と思ったのでしょうか?言い逃れできるかも?みたいな?

こんな広大な施設作っといて無理でしょ・・・。

 

3.どういう場所だったか

気づけば夕方17時を回ろうとしていた。トータル約9時間はこの施設を見て回ったことになる。

ここに来る前は約150万人が亡くなったと言われても、その数が多すぎて、もはやよくわからなかった。実感が湧かないというか。

でもここに来たことで全てがリアルになった。見学されていた方の中で気分が悪くなってしまった方や涙を流している方もいた。

恐らくここを知らない人はあまりいないと思う。でも何かで知っているだけでリアルに感じている人は少ないのではないでしょうか?

 

亡くなった方たち一人ひとりにかけがえのない人生があった。少なくとも奪われていい未来なんてひとつもなかった。

戦争はそんなことを簡単にやってのける。その事実を僕にひしひしと感じさせてくれた。

 

今も戦争、紛争をしている国があって、僕たちにとっては遠い国の出来事で、ニュースで報道されていても実感が無い。

可哀そうやなぁ。。。と思っても日々忙しく、社会と戦っている人たちの心にはなかなか届かない。

でもどうか少しでも関心を持ってほしい。意見をもってほしい。

たったそれだけのことだけれど、そうすれば現地の人たちの事を想うことに繋がるなるのではないでしょうか?そうゆうところから支援とかにも繋がるんじゃないかなーなんて思ったりしています。

この記事が少しでもそのきっかけになれれば嬉しいです。お読み頂きありがとうございました!

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